Brillia Art
アーティスト/松原 賢

Brillia 一番町

皇居に寄り添い、江戸時代から続く由緒ある邸宅街として知られる地に佇むBrillia 一番町。エントランスから入ってすぐ、訪れる人を出迎えるのが、重厚感のある大きなアート「環」です。手がけたのは、水と土を使った独特の画風が評判を呼ぶ松原賢さん。この作品に込めた思い、そして暮らしの中にあるアートの意義について、お話をお聞きしました。

アーティストインタビュー

自然や暮らしと共鳴するから
アートは輝く。
それが日本ならではの美意識です。

「和敬清寂」というコンセプトに中で
「環」が放つ存在感

松原賢/アーティスト
1948 富山県上市町生まれ、1973 独立美術(東京都美術館)、1976 井上三綱に師事、1977 第一美術展 第一美術賞(東京都美術館)、1987 上野の森美術館絵画大賞展 特別優秀賞受賞(上野の森美術館)、2006  「松原 賢展」(エスパス・ベルタン・ポワレ ギャラリー/パリ TKW20ギャラリー/ケルン)、2011 林屋晴三氏より茶会の床掛けを1年間(6席)依頼され、水音をテーマに制作、2019 個展「松原 賢-日月空海図-」(和光ホール) Ippodo New York 67st こけら落とし「KUKAI - Sun and Moon -」、フィラデルフィア美術館 襖絵「日月空海図」収蔵

この「環」はどのように生まれ、何を表現した作品なのでしょうか。
「環」が表現しているのは、禅の教えに基づいた“東洋の時空間”です。時間はらせんを描くように回り続けて終わりがない、という禅の輪廻転生思想を1つの「環」で表現しました。上部の中央にあるのが太陽、その下に7つの星が散りばめられており、これが太陽系を表しています。また左側に並んでいる複数の球状のものは音の響きを、右下には一筆書きしたようなスピード感ある筆跡で、流れを表現しています。

この「環」が初めて生まれたのは、もう40年ほど前のことです。当初からこの形状でしたが、デザインはもう少しごちゃごちゃしていましたね。それが年月を重ねるごとに無駄を省いたり、新しいアイデアを盛り込んだり、自分の中にある思いや価値観を整理していった結果、今の形になりました。私の中ではだいぶ完成系に近いと思っています。

本物件の共用部のコンセプトが、茶道の心得を表す「和敬清寂」とのことでしたが、もともと「環」は茶席のしつらえで取り入れていただくことが多い作品でしたので、お声がけいただいたときはうれしかったですね。何しろこれだけ大きな作品を二層吹き抜けの高い天井から吊り下げていただけるのですから。ちなみに造形物を浮かせるという発想は、知人の彫刻家に言わせれば「絵描きの発想」だそうです(笑)。彫刻家は、造形物は台座にしっかり据えるものだと思っているけれど、絵描きは壁に吊るすものと思っていますからね。でも、この一見すると重量感がありそうなアートが宙に浮いて見えたら、不思議な力が働いているようで幻想的に思えませんか。

「環」の下には石庭を敷いていますが、これにも大きな意味があります。実は一度、京懐石の店で、もっと小さい「環」を使ってある演出をしたことがありまして。天井から吊るした「環」の下に水盤を置き、天井に仕掛けをして10秒に1度、水盤に1滴の水がポタッと落ちるようにしたんです。すると水盤にきれいな波紋がふわっと広がる。この1滴の水は“命”を表しており、これが地に落ちて芽吹いていく様子を表しています。ぼくはここで “生命の始まり”を表現したかったんです。Brillia一番町も同じ演出をしたかったですが、水が使えないということで石庭をしつらえ、枯山水のように箒目で波紋を再現しました。

自然のアートは「描く」のではなく
「創る」ものだと気づいた

松原さんはサブエントランスホールの「景」も手がけられていますが、こちらには本物件の土が使われているそうですね。
そうです。この「景」は大地がテーマなので、ここの土を工房に送っていただき、ふるいにかけて硅砂と呼ばれる細かい砂にしたものを画材にしました。ぼくが画材に土を使うようになったのはやはり40年ほど前、「人間が絵を描き始めたころの表現方法に戻ってみたい」と思ったからです。たとえばアルタミラの洞窟絵や古墳の壁画は、芸術やアートといった観点なく描かれていますが、まったく古びることなく、今も見る人の心を動かしている。こういった精神でアートと向き合いたいと思い、ベンガラ(赤)や土(黄)、カーボン(黒)を使って描くことを始めました。

さらに自然の造形を水の流れで表現するようになったのは、陶磁器研究の第一人者として著名な故林屋晴三先生との親交がきっかけです。ある日、ぼくは林屋先生に「茶会の床にかける富士山の絵を描いてほしい」と依頼されたのですが、ぼくは心の中で「富士山は描きたくないなあ」と思いました(笑)。何しろ富士山なんて、数えきれないほどに描き尽くされているから、「自分らしい富士山を描こう」と欲をかくと、変にデフォルメしたいやらしい絵になってしまいそうだったから。でも断りにくかったので、お茶を濁すようにササッと描いて渡したところ、その思いが先生にばれてしまい、「描きたくもないものを描かせて悪かったね」と言われてしまいました。内心どきっとしながら「期待に添えなくてすみません」と答え、その場はなんとか切り抜けたと思ったんです。

ところが年明けの正月の朝、また電話がかかってきて「おれは悪くない!あんな作品を描いたお前が悪いんだ」と怒られまして(笑)。これはよほど期待していただいたのだと反省し、改めて取り組むことにしたんです。その後、富士山をヘリコプターから取材する機会をいただき、いわゆる「大沢崩れ」と呼ばれる切り立った谷を間近に見たとき、ぼくは水の力に畏怖を感じ、「地球の自然の造形はすべて水によって形づくられている」と感じました。それで富士山は「描く」ものではなく、水が「創る」ものだと思い至り、水の流れで創り上げる「景」の作風が生まれました。これもみんな、あの大先生に叱られたおかげです(笑)。

ちなみにエレベーターホールに展示されている「富士山」は、富士山の土と砂を使って創りました。このエリアがかつて富士見台と呼ばれていたことから、昔は望むことができたであろう富士山の姿を住民のみなさまにも楽しんでいただきたいと思っています。

日々の暮らしの中にさりげなく
アートがある、それが日本の美意識

Brillia一番町〉が竣工して約2年経ちますが、改めてご自身の作品をご覧になって、いかがでしょうか。 
本当にこれが画家にとっての理想だと思いましたね。通常、このような大空間にアートが展示されるのは美術館や美術展ぐらいで、それ以外では人目に触れる機会はそう多くありません。でも、このようにマンションの共有部に置いていただければ、住んでいる方や訪れる方に日々接していただけるわけですから。しかもこちらの共用部はコンセプトが「和敬清寂」ということもあって、和の趣を感じさせるインテリアと気持ちよく共鳴している。これもまた理想的です。

日本にはそもそも、アートは日常の中にさりげなく取り入れ、愛でるものという美意識があると思うんですね。たとえばふすまは、自然との境にあるものなので、ふすまには自然と調和する絵が描かれることが多いし、床の間には季節の花を生けたりするでしょう。アート自らは主張しすぎず、まわりの空気感や自然の光とコラボレーションすることで初めてアートとして成り立つ。そういう美意識があると思います。そういう意味で、共用部にさりげなくアートを置くという取り組みは、今後も多くのマンションに取り入れてほしいですね。

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