Brillia Art
彫刻家/安田 侃

意心帰

Brillia 高輪 REFIR

イタリアを拠点に活動する世界的彫刻家、安田侃さんの代表作「意心帰(いしんき)」。東京国際フォーラムをはじめ日本各地に鎮座し、海外でも高く評価される名作が、Brillia 高輪 REFIRの共用部にも設置されています。この彫刻には安田さんのどのような思いが込められているのか、そしてマンション内に設置される彫刻の意義とは何か、安田さんに伺いました。

アーティストインタビュー

「形は心を求め、心は形を求める」
ただそこにあり、
住む人の成長を見つめ続ける
彫刻の存在意義

ブロンズは古代ギリシャ時代から
使われている最良の彫刻素材。

1945年北海道美唄市生まれ。東京芸術大学大学院彫刻科修了後、70年イタリア政府招へい留学生として渡伊。ローマ・アカデミア美術学校でペリクレ・ファッツィーニ氏に師事。以降、大理石の産地として知られる北イタリアのピエトラサンタにアトリエを構え、大理石とブロンズによる彫刻の創作活動を続けている。

美しい色と曲線が印象的ですが、素材には何を使われているのでしょうか。
ブロンズにメタルを配合したホワイトブロンズです。彫刻の素材には、大理石や御影石などの石やブロンズを使うことが多いですが、特にブロンズは金属より柔らかくて加工しやすく、それでいて劣化しにくいため、彫刻にもっとも適した素材。それは、古代ギリシャ時代に作られたブロンズ彫刻が、何千年の時を超えて今なお残っているという歴史が証明しています。「意心帰」は形が非常にシンプルなため、その美しさを引き立てたいとホワイトブロンズを採用しました。 ベースとなる色は、富山県高岡市の鋳造職人とともに10年以上研究を重ね、納得のいく優しい色を作り出しました。ホワイトブロンズは、高温に熱して型に流し込んで固める工程で、模様が出る場合と出ない場合があり、どんな模様が現れるかもわかりません。まさに偶然の産物です。美しい模様が現れたら、そのままデザインとして生かすこともありますが、大きい作品の場合、模様が作品のシンプルさをかえって邪魔してしまうことがあるため、今回は一度きれいに磨き上げた後、金色に仕上げました。設置場所が、吹き抜けの中庭にある水盤の上なので、自然光の差し込みや水面への映り込みなど、日ごとに違った表情を楽しんでいただけるのではないかと思います。

大きなもので魂を包み込み、
見る人によって形を変える。

作品名の「意心帰」とはどういう意味でしょうか。
これは私の造語ですが、一言でいえば「形は心を求め、心は形を求める」ということです。たとえば、愛する人に対して「あなたを愛しています」と言ったとき、「どれほど?」と聞かれた経験がある人はいませんか。愛には形がなく目には見えないため、不安に感じて思わず聞いてしまうわけです。これが「心は形を求める」の意味で、「意心帰」は目に見えない心を“形”として表現することで、安心感をもたらしてくれます。
一方、この彫刻の形は見る人の“心”によって変わります。もちろん本当に変わるわけではありませんが、気持ちが高揚しているときには、この彫刻も生き生きと動いているように見え、気持ちが沈んでいるときには死んで動かないように見えるかもしれません。まさに自分の心の鏡として存在するのが「意心帰」であり、それが「形は心を求める」という意味です。
ただ、この言葉については最近、少し考えさせられることもありますね。「意心帰」という言葉が持つニュアンスが、漢字を母国語として使っている人にしか伝わらず、海外の展覧会に出展する際に、適切な訳が見つからないんです。たとえば「心」を、そのまま英訳したら「heart」ですが、それは私が言いたいこととは違います。かといって「魂」と捉えてしまうと、今度は文化圏ごとの宗教観の違いから、受け取り方が変わってしまう。でも大切なのは作品名ではなく、何を感じてくれるか、ということ。見てくれた人が感じたことがすべてなので、そこであえて作品名をつけてしまうと自由な感じ方を邪魔してしまうのでは、とも感じています。

いつでもそこにあり、
家族の歴史と成長を見つめ続ける存在に。

マンションに「意心帰」がある意義をどのようにお考えですか。
「意心帰」はある意味、マンションの建物とそこに住む人との関係性を象徴しているように思います。「形は心を求め、心は形を求める」の“形”が建物であり、“心”が住む人。帰る場所に建物という“形”があるからこそ、しかもそれが美しいほど、人は安心して帰ってくることができます。安心には、それに匹敵する“形”が必要なのです。もし建物がなかったら、雨露は凌げないし、安心してくつろいだり眠ることができませんから。そして“形”である建物もまた、そこに住む人という“心”を内包しているからこそ、存在意義があるのです。

この「意心帰」はただそこにあり、10年、20年……と同じ時間を刻みながら、子どもたちや家族の成長を見守り続けるでしょう。何千年も昔から、長い歴史を見つめ続けてきた彫刻たちと同じように。中には目も留めず、ただ通りすぎるだけという人もいるかもしれませんが、それでもいい。立ち止まって見つめてもらう存在ではなく、気づかないほどシンプルに、でも変わらずそこにあることが大切なのです。そしていつか、子どものころに見たときと大人になったときに見たときで、見え方や感じ方が全然違うことに気づき、気持ちの変化や成長を感じてくれたらうれしいですね。

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