萩原 朔美
1946年11月14日東京生まれ。多摩美術大学名誉教授。前橋文学館館長。アーツ前橋アドバイザー。金沢美術工芸大学客員教授。祖父は詩人萩原朔太郎。母は小説家萩原葉子。1967年、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷立ち上げに参加。俳優、演出家として活動。1972年、山口勝弘、中谷不二子達のビデオひろばに参加。映像作品を制作。1975年、月刊「ビックリハウス」をパルコ出版から創刊。編集長を務める。1982年多摩美術大学講師。以後、教授、学科長、学部長、理事を歴任。主な著作「思い出のなかの寺山修司」筑摩書房。「毎日が冒険」三月書房。「時間を生け捕る」フィルムアート社。「演劇実験室天井桟敷の人々」フレーベル館。「死んだら何を書いてもいいわ」新潮社。「劇的な人生こそ真実」新潮社。その他多数。昨年、萩原の写真、版画、ブックオブジェ作品の大半が世田谷美術館に収蔵された。
水と緑と詩のまち前橋文学館提供
萩原 朔太郎
1886年11月1日―1942年5月11日。群馬県前橋市生まれ。従兄である萩原栄次から短歌の手ほどきを受け、文学の道に入る。与謝野晶子「みだれ髪」などに親しみ、短歌を「明星」に投稿。後に北原白秋主宰の詩誌「朱欒」に投稿をはじめ、室生犀星らと親交を深める。1917年に第一詩集「月に吠える」を刊行。口語の緊迫したリズムで、感情の奥底を鮮烈なイメージとして表現し、後の詩壇に大きな影響を与えた。さらに、1923年に出版した「青猫」で、口語自由詩の確立者として不動の地位を得る。音楽や写真、手品にも造詣が深く長年愛好した。1942年肺炎のため死去。享年55歳。
主な詩集に、「月に吠える」(感情詩社・白日社)、「青猫」(新潮社)、「蝶を夢む」(新潮社)、「氷島」(第一書房)、「宿命」(創元社)など。その他著作多数。